2017/02/07

生きる意味

ある人に人生相談をされ、ふと思ったこと。



生きる意味がないから死ぬとか、生きる意味を見つけなければとか、そんな心配はどちらも無意味だろう。

考えるだけ無駄である。

それらしい答えを見つけたとしても、勘違いかも知れない。
見つけなければならないという決まりもない。


一方で世の中では生きる意味に困っている人を見かける事がある。

だが、なぜそんな意味を必要とするのか私には今一つ理解できない。
そもそも生まれたときは意味なんて考えなくても生きていたじゃない。

自分の生きる意味、何か価値、そんなものがあると思っている人や、見つけ出そう、見つけ出したいと思っている者はむしろ身の程知らずであろう。

そんなものは無い。

なぜ、たかが君の、なぜたかが人間の、命、人生に何か普遍的な、あるいは崇高な、あるいは納得のできる、意味や価値がある、などと妄想するのか。
まさか同じ物質である、塵芥と人体との間に主観的でなく本質的な存在価値の相違があるとでも?
まさか同じ人間の中に、主観的でなく本質的に、意味あり価値ある人間と、意味なく価値ない人間の差が存在するとでも?
そんな考えは、全く傲慢としか言いようがない。

ましてそれらを考えることで、何かを為すならまだ勝手にすれば良いが、生きる意味や人生の価値を口にする者に限って、いつも同じ場所で堂々巡りをしているではないか。


そんな暇があるなら、今その場で僅かでも持てる力を使えばよい。

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