2020/04/04

空気が読めない、はっきりものを言うのは悪い事なのか


私ははっきり空気を読まずにものを言う方である。
小さいころから、空気が読めない、失礼だ、ああ言えばこう言う、屁理屈を言うな、とこの手の言葉を何百回何千回言われたかわからないくらいに言われて育った。
歳をとって幾分丸くは成ってきたが、それでもいまだに知人には弁護士に成らなかったのは残念だね、などと言われる始末である。

もう直ることは無いと自分では諦めている。

さて私は遠慮がないのか、相手を怒らせたいのか?実はそんなことは無い。ついつい思ったことが口に出てしまうのだ。
嫌われるのも怒られるのも嫌で仕方ないのだ。でもそうなってしまう。
言ってから後悔することもあるのだが、結局直らない。

言わずに我慢できないともいえるかもしれない。

一時期はそのことで深く悩んだこともあったが、結局そんな悩みはすべて無駄なことだと悟った。
しまったと思うのは基本的にいつも言ってしまった後なのだ。

さて、そんな性格は直せない前提で、生きていく上での課題を整理しよう。



空気が読めない、はっきりものを言うのは悪い事なのか結論を出すには解決しなければならない課題がいくつかありそうだ。
ざっと次のようなものだろうか。

1.読める空気とは一体何か

2.空気が読めないことは悪いのか

3.嫌われるのが嫌だ/怒られるのが怖い、というのは果たして妥当な心配事なのか

4.自分の性格によるデメリットを最小化するにはどうすればよいか

これらをそれぞれ考えて行きたい。

1.読める空気とは一体何か
実は空気が読めない人も相手が怒っていることや、機嫌が現在進行形で悪い事は分かるものである。
空気が読める人との違いは、空気が読める人はどうやらこれが事前にわかるのだ。
相手が怒るツボや、機嫌が悪くなるツボが読めるということの様に思われる。
では空気が読める人たちはエスパーなのかというと、そんなことは無い。おそらくはちょっと我々より想像力が豊かなだけである。
また、空気が読める人と言えども必ずいつでも正しく読めるわけではない。
もしそんなことがあれば、人と人との衝突は空気の読めないグループと空気の読めるグループの間でしか起こらないはずである。
が、現実には空気が読めそうに見える人だって、ほかの空気が読めそうな誰かと衝突することはあるのである。
空気なんて言うのは所詮、自称空気の読める人にとってさえ、読み違えるようなあやふやなものに過ぎないのだ。

2.空気が読めないことは悪いのか
仮に相手が現に怒っているのに、もっと怒らせることをどんどん言う、行うという状況であればある程度悪いといわれてもやむをえない面があると思う。
が、多くの空気の読めない人は相手が怒る前に察知できないのであって、相手が現に怒っている場合は基本的に分かると思われる。
(ここでは内心怒っているのに態度には出していない場合は除く)

空気が読めないと自認していてもそれでもなお、大体の人は、自分の感情が同じく昂っている場合は別として、今まさに激怒している相手にわざわざ絡みにはいかないだろう。
つまりは空気が読める人であっても読み間違えて相手を怒らせることがある以上は、空気の読めない人との差は確率的な差に過ぎない事になる。
仮に、
・Aさんは30%の確率で相手を怒らせてしまう可能性がある
・Bさんは40%の確率で相手を怒らせてしまう可能性がある
として、Aさんよりは空気の読めないBさんが悪いとなぜ言えるのか。

仮にBさんが悪いというなら、
・Bさんは31%の確率で相手を怒らせてしまう可能性がある
とした場合でもBさんが悪いのか?

あるいは、ある任意の期間を切り取った場合にたまたま、
・Bさんは29.9%の確率で相手を怒らせてしまう可能性がある
となったらBさんよりAさんの方が悪い事になるのか。

等々といろいろ解決困難な疑問が生じる。

要するに空気を読めないから悪いなどということは、どのみち言い切れるような話ではないということである。

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