2020/11/12

何が幸せか 生きる意味とは 生きる意味が分からない人へ

私は昔から面倒な性質で、面倒なことを考えがちである。

一時期は生きる意味なんてものを強く求め考え苦しんだこともあった。

幸せとは生きる意味を見つけ実現する事、なんて堅苦しいことを信じようとしたことも無くはない。

※動画は関係ないがこんなきれいな曲を聴くとこういう気分になる。この年でも中二が抜けなくて困ったもんだ。

今でこそサラリーマンとしては平均的な給料で働いているが、一応卒業した夜間の高校などは同級生が職員室のポットからお湯を拝借してマジックマッシュルーム(当時は一応合法?)のお茶を飲んでいるようなところだったし、ブラック企業などという生易しい言葉で表現してよいのか悩むような1か月帰宅不可で、先輩からは「調子乗ってるとしめるぞてめぇ」←これでも一応社会人、等と言う言葉が飛んでくるのが日常な会社で働いていた様に、日本で経験できる底辺に近いところにいたこともあった。

そのブラック企業をバックレて面接に行った先では、正社員募集のはずがなぜか説明会で「仕事をするには登録費として事前にX万円お支払いいただきます( ・´ー・`)ドヤ!」等と平気で始めてしまう様なブラック企業がゴロゴロ有った、そんな、世に氷河期世代といわれる中の後半世代である。

しかし当時からの友人や今の自分が一概に現在も底辺かと言えばそうでもなく、土方から起業し社長として頑張っている奴もいるし、マジックマッシュルーム茶を飲んでた様なやつも今では妻子持ちの会社員に収まっていたりする。

一方で何が真に悲惨かは分からないが恐らく、悲惨と言える様な立場に身を置いている者もいる。連絡がつかない奴は定かではないが連絡がつく者の中でも、40を超えてアルバイト、コロナで収入もなくなりもう金も後もないという者もいる。

さてこんな立場や事物といった事柄が幸福と不幸を分けるものなのだろうか。

正直金も後もない者と自分を比べたとて素直に自分が幸せだと思えるかと言えばそうは思えない。贅沢?思い上がり?そうかもしれぬが、人とは元来そんなものだとも思う。

一方で自分が金も後も無い状況に置かれていれば今の私の様な者が不満を漏らす姿は疎ましく思うだろう、というのも十分に想像できる事である。

さらに一方で今の私自身は、金も後も無いという者に疎ましく思われる事は甚だ心外であるという気持ちもある。

努力や苦労を比べる事は出来ないが、俺は俺なりに努力して来たと言いたい、そんな思い上った自分も確かに存在するからであろうか。

しかしまたその一方で、今の違いは努力や能力の違いなどではなく、ただの偶然にしか過ぎない。自分の方が金も後も無い状況だったとしても、またいつそうなってもおかしく無いし、無かったという思考も浮かんでは来る。

どちらの立場も金の多少、家族や恋人の有無、家の有無、等と言う見えやすいもので比較してしまいがちだが、結局当人が幸せかどうかは本人の心次第だ、とも思う。

とはいえ私が私以上に恵まれているように見える者を見るときに同じ事を信じ込めるかと言えば、それは違うようにも思う。少なくとも金は多い方が幸せを感じやすいと思うであろう。

つまるところ結局私も、私程度をうらやむかもしれぬ金も後も無い者と同じで、目に見えて測りやすい価値に基づいて上下を決めて、下を見るときはそんなものは関係ないと思い、上を見るときは羨む、そんな貧しい心の持ち主であるという事であろうか。


家族はどうか。所詮死ぬときは皆一人である。誰かが誰かの代わりに死ぬことは出来ない。生涯を誓ったパートナー、血を分けた親子、あるいは血を分けぬ親子、でも同じことである。

であればそこに何の幸せがあるのであろう。生物の子孫を残す本能であろうか。人を育てる喜び、愛情、感じようと思えば感じなくはないが、妄信できる程の確信を持てるかと問われれば、いささか心許ない。


そんなことをずっと考え続けていた10代のころと同じことを、ふとまた考えている40代。なかなか進歩がないことに愕然としなくもない。


そして結局のところ最後にたどり着く答えはまた同じ。

人に生きる意味などない。ホームレスもサラリーマンも父も母も子も大統領も、等しくただの宇宙の塵である。ただの偶然により、自分という者を認識したと思っている何者かがこの空間にいるだけである。金を持とうと金がなかろうと死ねば最後は散り散りになり、空気や土となり、太陽に飲み込まれ、すべてが混ざりあい、希薄な元素、あるいは素粒子にまで分解され、世界と共に物質も終わりを迎える。そこに意味などない。そもそも意味などという概念が自分の意識が生み出した妄想かもしれぬ。

したがって幸せかどうかなどと言うこともどうでもよい事だ。

そうやって諦めてしまえば、生きる意味が見つからない事に悩むみ苦しむ事は無くなる。

尤も、それすらも、諦めがついている束の間の安息だったりするのだが。

これが真実だとも思うし、そうとでも思わなければ生きる意味や確たる幸せを見つけることのできない貴方や私の様な人間にはこの世はつらすぎる。

居るのかどうかは分からないが、疑わずに生きる意味を見出し信じ続けられる者は幸せなのかもしれない。それができない我々の様な者は、こんな言い訳を見つけて騙し騙しやっていかないとつらすぎるのだ。

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夢、理想、やりたい事、自分探し。将来どんな仕事がしたい?将来何になりたい?という幼少期の問いから始まり、進路相談でも将来の夢を語らされ、就職活動でもなぜこの会社・業界・業種なのか、なぜやりたいのかを問われる。さらに就職した後の目標設定・評価等でも、何がやりたいの?などと問われる。...