10数年ぶりに昔の彼女から連絡があった。
用件は金を貸してくれという事だ。
色々と、話を聞いたら人生かなり大変そうで、結構追い詰められている様子だった。
彼女は自分と境遇が似ているところがあって、お互いに親と上手くいっていない。
世間の風は親に感謝できない人間に冷たいが、私も親とは全く上手くいっていないので、彼女とはある種共通点があったのだ。
わからない人にはわからないが、無条件で親に感謝しろとか、親を尊敬しないなんてとんでもないとか、なんだかんだ言っても立派に育ててくれたんじゃない、という見えない世間の圧力は、我々を苦しめた、そして苦しめる。
わかりやすい例を出せば麻原彰晃こと松本智津夫でも人の親であるにも関わらず、世間は親というだけで、その子には無条件の親への敬意や感謝を求めるのだ。
そう、私たちの親が麻原彰晃ではないにせよ、十分に軽蔑に値する人物であったとしても。
そんな背景もあり、私と彼女の間にはある種共通の価値観が流れていた部分もあったと思う。
といいつつ、結局振られるわけだから、単なる勘違いだったかもしれないが。
それはさておき、なんだろね。
別れた当時は大好きだったのに振られて、人生どん底だったけど、今ではどう考えても、自分の方が状況は良さそうだった。
こんなことで優越感を感じてしまう自分がしょぼいな。
という気持ちや、
いやいや幸せになってほしいな。
という気持ちや、
あるいは当時の恨みがましい気持ちが蘇ってきたり。
色々と渦巻く自分がまだ精神的に未熟なんだなーと。
まぁ残酷なようだが、自分を振った女なんて、幾らでも苦しめば良い、むしろ苦しめという気持ちが正直一番強いのが、我ながらどうしようもない人間だな、と思う。
話は戻るが、愛せる家族、いや憎まなくて良いレベルにマトモナ親・家族に恵まれている人は自らの幸運に感謝した方が良いと思う。
感謝に値しない、尊敬に値しない、むしろ軽蔑に値する、そんな人物の一人や二人あなたにも居るだろう。
そういう人物の子に生まれた者への、親への無条件の敬意、感謝、親を軽蔑するなんて、とんでもない、親と仲良くできないなんて大人じゃない、等々という、世間の見えないが確かな圧力、いわばそれは、不運な出自に対する差別といっても差し支えないのである。
その一見倫理的な世間の圧力は、軽蔑すべき人物の子として生まれたその本人をしつこく親その物と共に呪縛し続ける。
たまたま私は自分で選んだ愛すべき家族を得て、少しだけその呪縛から解き放たれた気がするが、元彼女はその真っただ中に、まだ居た様だ。
その袋小路の辛さがわかるだけに、同情も一部では感じている自分が居た。
んー。とりとめもなし。
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