もう10年経つんですね。
当時営業同行からの帰りで田町駅前のエスカレータにちょうど足を掛けたあたりで揺れ始めた。
最初は地震だとは思わなかった。折から風が強くて自分が風によろめいたのかと思ってしばらくそのまま歩き続けていたが周りの人の様子で地震だと気づいた。
普段から、寝ている時の地震にもほとんど気付かず起きない人間なのだが、少なくとも私が経験した中で最大の地震かつ起きていたのに、我ながらなんと鈍感なことだろう。
しかしその後揺れが尋常ではない事がわかり、一旦落ち着いて近くのビル内の喫茶店で一休みしようか等と同行していた営業のオジサマとオタオタしていたら、ディスプレイに映し出された流される大量の車を見て愕然とした。
とんでもない事になってるぞ、と思った。
人間こういうときに正しい判断は出来ないもので、帰るなら帰るですぐにタクシーを拾えばよかった。歩くなら歩くですぐにオフィスに向かって歩き始めればよかった。最初に電車も止まっているしタクシー拾う?と営業のオジサマと相談した段階ではまだタクシーを拾おうとする人もほとんど居らず、あの瞬間に決断すれば家に帰れたと思うが、結局様子を見る事にして、だんだんと事態の深刻さがわかり、そのころにはタクシーなどもはやどこにもおらず、バス停には長蛇の列という状態で、3時間程度歩いてオフィスに泊まる事を決断したころにはもはや徒歩の道さえ歩きにくい人込み、道中のコンビニでは殆どものが買えない状態であった。
オフィスにはそれほど備えが無かったので梱包材を布団にして寝て、幸いなことに翌日電車で帰宅できたが、やはりどんな人間でも緊急時に最も適切かつ迅速な判断など出来ないという事を思い知った事を思い出した。
だから形式的であろうと、どんなに役に立たなそうに見えようと避難訓練ってのは大事なんだなと思う。
あの地震が仮に東京に大津波をもたらしていたら、田町でうろうろしていた自分達はビルの上層階に避難できたかどうか怪しいものである。おそらくぎりぎりになってから、大勢と共にパニックに飲み込まれ運が良ければ高層階へ、そうでなければそのまま飲み込まれていたのだろう。
そして原発事故。
人間喉元過ぎればなんとやらである。
これは仕方ないところもあるとは思う。あの時期の様な緊張感が10年もずっと続けば恐らく精神的に持たないだろう。だからこそ人は忘れるし、ひどい状況であってもだんだんと慣れる様に出来ているのだとは思う。
一方で生き残る可能性を上げるためにはたまにはやっぱり思い出し、歴史を教訓にするべきなのだろう。
平時に自分を正常に保つためのある種特性が、有事には自分を殺すかもしれない。ちょっと皮肉ではあるがその中でバランスをとって行くしかないのだろう。
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