とかく人生とは疲れるものである。
人は落ち込むものである。
落ち込んでいるときにどの様な哲学を考えようと、基本的に役には立たない。
哲学を学べるほどの精神力は落ち込んでいる人には無いし、自己啓発も役には立たない。そういったものは基本的に元気で前向きな状態の者にしか役立たない。
例えば↓こんなアドラー心理学も響くときは響くが響かないときは響かない。
残念ながらそれが人間というモノなのだろう。
良く女性の愚痴には解決策を提示してはいけない、共感を示すべし、等と言うが、少なくとも男性である私は誰かに共感を示してもらっても落ち込みから抜け出すきっかけにはならない。
これはまことに残念なことである。
落ち込んだ時はではどうするのか。とことん落ち込むしかあるまい。概ね時間が解決する。
原因が残念ながら時間では解決出来ぬ仕事のことであれば忘れるしかあるまい。定時になったら考えない事だ。人はそうやって心を守る位の事しか出来ぬ不器用でか弱いものだと最近思う。
若い時分には考えたことも無かった。弱き者のことなど。
では若い頃の自分は強かったのか、と問われれば、当時の己は肯定しそうであるが、現実には自分の弱さすら見えていなかったのだろうと今思う。
もちろん無知あればこそ、あるいはあえて弱さに目を向けないでいてこそ、出来る挑戦もあろう。
それで成功すればよし、泥水をすする事になっても誰も助けてはくれないのが世の中である。
とかく落ち込んだ時はこんな事を考えてしまうものだ。
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